慶應義塾大学工学管理工学科卒業、同大学院管理工学専攻修士課程修了後、米国ワシントン大学大学院心理学専攻に入学、1970年同博士課程修了(Ph. D.)1971年4月より東京理科大学理工学部助教授、1981年4月より東京大学教育学部助教授、同教授を経て2000年3月に東京大学を定年退職し、東京大学名誉教授となる。同年4月より青山学院大学文学部教育学科教授、2008年4月より、同社会情報学部教授、2013年3月に退職し、青山学院大学名誉教授となる。2012年4月より公益社団法人信濃教育会教育研究所所長となり現在に至る。2013年4月より、多摩美術大学情報デザイン学科客員教授となり、現在に至る。
主著に『幼児教育へのいざない』東京大学出版会2001年(編著)、『共感—育ち合う保育のなかで』ミネルヴァ書房2007年、『ワークショップと学び』(編)[全3巻]など。
大人になるにつれて薄れている、根源的能動性
そこで、佐伯先生に「根源的能動性を問い直す」というテーマでお話をお願いしました。人は生まれたときから、世界にあるモノやコトに「なってみる」ことで、そのモノやコトの存在に納得していきます。これは人との関わりでも言えることです。以下、佐伯氏の講演内容を一部抜粋しながら、根源的能動性をもう一度考え直していきます。
「なってみる」ことの前提は「共感(Empathy)」
「「なってみる」ときに自分自身をそのまま相手に当てはめることを「同感(Sympathy)」といいます。きっとこの人も、私と同じように感じているだろうと。自己を他(者、物)へ投影するのです。一方で、相手は私とは違う存在だという前提で「なってみる」ことを「共感(Empathy)」といいます。他(者、物)に「なって」、その置かれている状況や背景(含、歴史)を背負い、さらに、それが「なろうとする」世界を見通す。それが本来の「共感」です。」
なぜ根源的能動性は薄れていくのか?
「人は、何かを教えてもらって理解するという経験によって、原因と結果の関係を自分で確かめて理解するということを放棄するわけですね。したがって、教育は子どもたちに知識を教える一方で、根源的能動性を薄れさせてしまう原因ともなっています。教わるということで、考えないスイッチが入ります。自らwhatやwhyを問わなくてもよい、偉い人が考えてくれた正解というものがあるから、その答えだけを知ればよいと思ってしまうのです。教える人の、暗黙の要求に必死で応えようとするわけですね。」
根源的能動性に関する、日本と欧米の違いは?
「例えば、「囚人ジレンマゲーム」において日本人の多くは、非協力という手を最初に打ちます。なぜなら、相手がもしかしたら裏切るかもしれないので、こっちの方から先に裏切っておいた方が得だと考えるからです。もしも、相手が裏切らない手を打っていた場合は、謝罪して信頼関係を作ります。一方で、アメリカ人の多くは、協力という手を最初に打ちます。欧米は信頼社会であるため、瞬間的に相手の身に「なってみる」ことができます。そうすると自然に相手を最初は信頼するということが生まれるわけですね。したがって、「囚人ジレンマゲーム」において、最初の一手から信頼関係を持つのです。日本は安心社会であるため、仲間意識が強いんです。私たちは仲間だよね、ということを言い合って、シェルターの中で守られている社会にいます。どちらが良い悪いというのはありませんが、信頼社会の考え方はとても大切だと思いますね。」
「留学先で出会った友人がこう言ってくれたんです。佐伯の話はいつも、What is support to be true. 何を本当とされているか、という話を一生懸命しようとする。私が聞きたいのは、What is true.であると。あなたもWhat is true.ということを本気で語ってくれよと言われちゃったんですよ。What is support to be true.なにを本当とされているかばかりを問うている自分は何なのか。私自身が本当に何が本当かということを問うていないということを突きつけられてですね、非常にがっくりきたわけです。」
「日本の学問はWhat is support to be true.を出し合うそういう世界。あなた自身が本気でものを問うているか、ということが全然問われない。学会論文の審査も、ちゃんと勉強しているかどうか、世の中で通説とされているWhat is support to be true.をちゃんとレビューしているかどうか。そういうことで学会論文であるということになってしまっているんですね。」
0歳児のまなざしを心がけることで、根源的能動性が保たれる
自分が根源的能動性を持ち続けるためには?
「自己主張を認め合うことです。そのためにまずは、自分が人間として遠慮せずにI wantを出しましょう。トンチンカンでもOK。空気を読まなくてもOK。その後、ゆっくり相手に静かなまなざしを向けます。相手は、本当はどういうことを訴えているのだろうか、ということを改めて問うということですね。」
「日本はI wantすら言わなくなっています。日本はI wantという自我を主張してはいけない、そういう自我を忘れろ、というのが道徳性だと思い込んでいます。これは大きな間違いですね。欧米では、I want、I wantと盛んに言います。それは、そう言ったことをまず聞いてくれるという環境があるからです。日本はまず、自我を通すことからやってほしいですね。」
他者に根源的能動性を持たせるには?
「人の話を聴いている時に、応答することが大切です。こちらの関わりが相手にちゃんと届くように、それを受け取ったよ、ということを返す。返された方も、この人は人間として私に関わってくれたんだ、人間として返してくれているんだ、と思う。これが本当の対話です。聴いているばっかり、話しているばっかりでは対話になりません。」
「ワークショップのときは、0歳児のまなざしで見つめあってほしい。すぐに判断してはいけない、すぐに解釈してはいけない。じーっと横にいて、その子なりその人なりが感じたり、考えたりすることを横で一緒になって、じーっと感じ考えながら、こういうことかも!と、だんだん湧き起こってきたときに、互いがわかり合うのです。それは、相手自身に「なる」ことです。さまざまな解釈を自分から出して、そうしたいならこうしたほうがいいよ、ということを立て続けに出してはいけません。」
「自分が疑問やこだわりを持っていれば、相手も自分と同じようにこだわりがあるだろうから、じっくり聴いてみようという気持ちになります。ところが、自分のことを適当にして、目的や問題意識がないと、自分で自分を問う弱さがあるから、人のことも問えないという、そういうジレンマがあると思うんですね。」